縁筆書家
曽山 尚幸SOYAMA Naoyuki
縁を筆をもって結ぶ書家、縁筆書家soyamaxとして、筆で「書」を表現しています。 日本国内はもちろん、台湾、中国といったアジア圏をはじめとし、欧米等でも幅広く活動をしています。 元がん患者でもあるため、闘病からの世界へ挑戦した話などを講演会などでお話しもさせて頂く機会もありますが、字の仕事でも、話す仕事でも、「まずは呼ばれたら行ってみる」の精神でこれまでに20か国ほどで腕試しさせていただきました。街なかの路上、お寺、ミュージカル、タトゥースタジオ、居酒屋、テレビショー、政府のイベント、百貨店での作品展示、商品ラベル、看板、とにかくどこでも、何にでも書きます。
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文字も生き方も、お手本なんて存在しない
生きる情熱を乗せた筆で世界中の縁をつなぐ
縁を筆を以って結ぶ書家、縁筆書家soyamaxと名乗り、国内外を問わず筆で字を書く活動をしています。元がん患者でもあるため、闘病からの世界へ挑戦した話などを講演会などでお話しもさせて頂く機会もありますが、字の仕事でも、話す仕事でも、「まずは呼ばれたら行ってみる」の精神でこれまでに20か国ほどで腕試しさせていただきました。街なかの路上、お寺、ミュージカル、タトゥースタジオ、居酒屋、テレビショー、政府のイベント、百貨店での作品展示、商品ラベル、看板、とにかくどこでも、何にでも書きます。これが私の最大のモットーとでもいいますでしょうか。
実は、書道経験はありません。小学生のころ、「お手本通りに書かなければならない授業」に嫌気がさしているようなタイプです。そういった意味では「習字がキライ」です。しかし、筆で“自分の字”を書くことは好きなのは今も昔も変わらない事実です。
18歳の時に末期がん (悪性リンパ腫ステージⅣ期) を患い、約二年にわたる闘病のなか、病室のベッドで過ごす有り余す時間を使い、自分の趣味としての筆文字が完成していきました。そこから28歳までの10年間、趣味として、いや“生きた証”として作り続けていた作品に目を留めて下さったとある美術館のオーナー様がいらっしゃり、「あなたの作品とストーリーが好きだ。個展やらないかい?」と声をかけてくださったのが今の私の始まりです。福島県いわき市にある金澤翔子美術館。ここが私のターニングポイントかつ、縁筆書家として展示をすることとなった一発目の会場でした。
生きる情熱を乗せた筆で世界中の縁をつなぐ
縁を筆を以って結ぶ書家、縁筆書家soyamaxと名乗り、国内外を問わず筆で字を書く活動をしています。元がん患者でもあるため、闘病からの世界へ挑戦した話などを講演会などでお話しもさせて頂く機会もありますが、字の仕事でも、話す仕事でも、「まずは呼ばれたら行ってみる」の精神でこれまでに20か国ほどで腕試しさせていただきました。街なかの路上、お寺、ミュージカル、タトゥースタジオ、居酒屋、テレビショー、政府のイベント、百貨店での作品展示、商品ラベル、看板、とにかくどこでも、何にでも書きます。これが私の最大のモットーとでもいいますでしょうか。
実は、書道経験はありません。小学生のころ、「お手本通りに書かなければならない授業」に嫌気がさしているようなタイプです。そういった意味では「習字がキライ」です。しかし、筆で“自分の字”を書くことは好きなのは今も昔も変わらない事実です。
18歳の時に末期がん (悪性リンパ腫ステージⅣ期) を患い、約二年にわたる闘病のなか、病室のベッドで過ごす有り余す時間を使い、自分の趣味としての筆文字が完成していきました。そこから28歳までの10年間、趣味として、いや“生きた証”として作り続けていた作品に目を留めて下さったとある美術館のオーナー様がいらっしゃり、「あなたの作品とストーリーが好きだ。個展やらないかい?」と声をかけてくださったのが今の私の始まりです。福島県いわき市にある金澤翔子美術館。ここが私のターニングポイントかつ、縁筆書家として展示をすることとなった一発目の会場でした。
ほんの数日前までラーメン屋をやっていた自分が、急に美術館での作品展示などわけのわからない状態で、正直辞退しようかなとも思ったほどです。予算もスポンサーもいない中、表具も手探りで、今思えばなんとも稚拙な展示だったと思いますが、新しいご縁に恵まれ、初めての地での初の展示会は成功に終わりました。このチャンスを活かせたおかげでsoyamaxファンが一気に増えました。筆で縁を繋ぎはじめた貴重な第一歩だったと懐かしく思います。それが2013年のことでした。その翌年、台湾に講師として呼ばれたのがキッカケで海外活動が一気に加速していきました。
「まずは楽しむこと」そこから始まる挑戦
恐れ多くも馬鹿な事言いますと、世界平和のほんの微塵でもいい礎を創りたいというのが目標なのかもしれません。 繁華街、山水画のような渓谷、農場、地下鉄、お寺、学校、スポーツジム、刺青屋、海、居酒屋、本当にところ構わず筆を振るってきました。私が筆を振るう場面には少なからずある程度人が集まります。国境問わず、韓国・中国・台湾・中南米・欧州他、いろんな人がごった返す、そのようなシーンがいくつもありました。そこで感じたのが、そこに集まったみんなの好奇心と笑顔、その場には闘争心や差別の感情はなかったように感じます。そこにいたまったくの他人同士が、私の筆をきっかけに縁を結ぶことが私の最大の喜びです。単純ですがそんな空間、そんな作品を作り出すことに生きがいを感じています。その瞬間を感じるために私はこれからもこの活動を死ぬまで続けていくことでしょう。
海外での活動をおこなっていると文化の違いも日々刺激になりますし、自分自身調理師ということもあり、食文化なども本当に毎日が素晴らしい学びとなっております。学びたいことも増えてきたため何事にも積極的に価値を見出し取り組んでいます。もともと幼少期から言語にも興味がありましたが、活動当初はまったく出来なかった英語・中国語が、いまでは日常生活以上に喋れるという自負を持てるようにまでなりました。すべてに通じて言えることですが、楽しいからこそ続けられた、必要に迫られたからこそ習得できた、そんな「挑戦の賜物」であると思っております。
主に日本語の筆文字を書いて販売し、世界を回っているのですが、現地の言葉を現地の言葉で書くことももちろん少なくありません。そういう現場での学びもまた楽しく、いままでにアラビア文字、タイ文字、ハングル文字、シンハラ語、ロシア語、ヒンディー語、他、多種多様な作品を残してきました。これから先も未踏の地へ赴き、そういった経験を増やしていくつもりです。かといってそれが使命感とかそういう重たいものではなく、ただ単純に自分が楽しいからやっている、必要としてくれている人がいるからやっているというのが、チャレンジ理由かもしれません。
好きを追及していた、
いつの間にかそれが世界を変えていた
飛行機ないし船で国境を超えるというのは、昨日までの自分を超える、実は割と手軽に体感できるレベルアップ方法だととらえています。その一歩を踏み出さなければ必要なかった勇気、聞き取る必要もなかった言語、自分の身の守り方、そういった非日常に挑戦するためにいまの日常を自ら超えていくことも一つの冒険のやり方であると、私なりですが解釈していて、死ぬまで現状不満足、これこそが超えていくための原動力ともいえるかと思います。
いつのまにか相当に“超えていた”ことが実はいくつもあります。憧れだったあの人の語学力をいつの間にか超えていた、SNSのフォロワー数がいつの間にか目標を超えていた、ノルマであったイベント集客をいつの間にか大きく超えていた、すべてにつきましたが「いつの間にか」というのがまさに自然な感じがします。無理して意図的に超えようとしたのではなく、好きでやっていたらいつの間にか上達していた、いつの間にか誰かを魅了していた、いつの間にかほんの少しでも世の中に影響を与えていた、そのように思います。これからもそのやり方はあまり変わらないと思います。
しかし、常々超えていきたいと思うものはやはり、「いまの自分」です。「明日死ぬかのように生きろ、永遠に生きるかのように学べ」というガンジーの言葉が好きで、その文字通り死ぬまで続けたいものです。昨日より今日、今日より明日という毎日を。あのとき、ベッドで過ごしたおよそ二年の歳月のおかげで死生観も価値観も大きく変わりました。まさしく、「明日死んでもいいように」生きてきました。学ぶことに関しては、「我以外皆我師」という言葉が好きで、神羅万象、老若男女、すべてが自分の先生になると考えています。時には未就学児童の一言に大きく感銘を受けたり、時には外国人の漢字を書く筆さばきに驚かされたり、毎日毎日新鮮な学びがあります。
私はこの先も今日の自分を超えながら、いつ終わりが来ても後悔することのないように生きてきます。そしていつの間にかそんな私の生き方が世の中に影響をあたえることができたらと思っています。
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